「ここではないどこか」の憧れ方
茨城の拝借景からニューヨーク方面へヒッチハイクするパフォーマンス(A)と、その日あった出来事を手紙にかいて拝借景に送り、その手紙を壁に貼付けてできるインスタレーション(B)の2つの要素で構成される作品。
1 「ニューヨーク方面」と書いた段ボールを掲げる。
2 止まってくれた車がいたら必ず乗る。
3 車内でニューヨークについて知っていること、
ニューヨークにまつわる思い出(若い頃”ニューヨークの夜”という ラブホテルに行った)などを聞く。可能ならその場へ連れていって もらう。
4 その内容や車内の雰囲気などを記録。
5 おろしてもらった場所で再びボードを掲げる。
6 昼と夜の2回、記録した紙などを封筒にいれて拝借景におくる。
7 夜はテントで寝る。
(A)
3日目、原宿で出会った人に「23日まではつづけろ、
なぜならその日がおれの初恋の相手の誕生日だからだ」と言われ2週間続けることになる。13日目の夜、漂流を経てたどり着いたのは静岡県御前崎市のパチンコ屋「ニューヨーク」。
乗せてくれた浜岡原発で働く2人組は、これで一回遊んでこいと1000円をくれるのであった。彼らで25台目。
人生初のパチンコはニューヨークとはなにかと考えている内10分で終了し、、
しかし約束の日まで後一日残っている私はニューヨークという施設の前でニューヨーク方面のダンボールをとりあえず掲げる。無表情であった。
(B)
撮った写真、旅行記のようなもの、拾ったもの、レシート、メモ書き、貝殻、落ち葉、絵、などその日の要素を封筒にいれ、拝借景にむけて送り続けた。郵便屋を介したものだけがこの壁に貼られている。
パフォーマンス(A)中の2週間も拝借景にむけて手紙は送られ続ける状況となるため、その期間は展示物が次々に増えていき、(A)(B)2つの作品が現在進行形で存在する形となった。
(A)終了後も(B)は2週間展示され、じっくり眺めている鑑賞者がいたら私自ら作品の説明をすることも多々あった。
2015年の8月の1ヶ月間。
別府市内のアーケードで毎日18時頃から1時間ほどタイヤにロープをつけたものを引っ張って歩くことを日課にする。
いろんな人と話し、仲悪い人とは仲良くなるかさらに仲悪くなるかして、だんだんタイヤを引っぱっている人として定着してきた。
公園の子ども達は「タイヤのおっちゃんだー!」と走って近づいてくるようになり、毎日同じ場所で缶酎ハイを飲んでるおっちゃんからは「いつまでそんなことやってる。タイヤを引っぱるくらいなら弟妹引っぱってやれよ!」と説教をうける日々を繰り返した。
タイヤを引っ張る人物はこの街で異物として存在し続け、それへの反応によって、日を追うごとに別府の人の性質や街の性格がみえてくるような気がしていた。
タイヤを引っぱったことに関する展示。
パフォーマンス作品の記録の残し方に悩んでいた時期であり、パフォーマンスと展示の間に一つプロジェクトを挟み、記録の残し方自体をコンセプチュアル・アートとして展示した。
プロシェクト
●商店街の子どもを集めてメモと鉛筆をわたす
●子ども達に「この商店街にタイヤを引っぱって歩くやつがいるらしい。そのタイヤ男を知っているか商店街の人たちに取材してきてくれ」と頼む
●なにか分かったことがあったら、メモに書き込んでもらう。その様子も一緒に映像で撮るように指示する。
●メモと映像が集まったら、児童館にいき、そこの子ども達にメモから読み取れることを絵で描いてもらう。
なんとなく、温泉が濾過されたり
湯気がモクモクして雲になったり
雨になったりみたいなことをイメージした
現実の記録は
基本はやっぱり、無限に多様に存在して、どうとでも転がっていける危ういその瞬間を、口当たりよいように切り取っているものなのだから
子どもが撮った映像は
きどりもてらいもなく、その時しゃべっている人を純粋に捉える。
それらを編集し
別府の人たちが大人も子どもも揃って
タイヤを引っぱっている人について話し合う映像をつくった。
子ども達が街の人手当り次第に声をかけつくったメモ
私との会話の詳細を話す人
噂だけきいたことがある人
面白がっていた人
怖がっていた人
迷惑だと思っていた人
見たことない人
単純な行為が甘みも渋みも含めて別府味になり、私のもとに戻ってくる。
メモから生まれた絵たち
さらに濾過(もしくはその反対)が加わり
残るものは
あとで